俺のマシンを見ておくれ 中年編 その1

9台目 ヤマハSR400 500ccにボアップした1台 

やっぱバイクは単コロでしょ!高校生の頃 北海道ツーリングをしていた時、土埃で汚れたSR400に荷物を山ほど積んで北海道を回っている 兄ちゃんがいた。途中休憩で出会ったのだが やけにカッコよくkomaの目に映ったのであった。オレもあんな旅人になりてぇ、キックを振り下ろす その姿がさらにカッコいいではないか、オレもいつかは。。

スティードの次に選んだバイクはヤマハSR400。1978年に誕生したSR400は2002年当時 すでに発売から24年も経過したロングセラーモデルであった。アップデートが重ねられ熟成したバイクともいえたのだ。しかし乗り味はイメージした程ではなく物足りなさを感じた。そして始めてエンジンに手を入れたのだった。クランク、コンロッド等500ccの物に変更した。いわゆるボアアップというやつである。マフラーはスーパートラップに変更し『オレのSR』を 着々と作っていったのだった。しかし吸気系の問題があったのか、とにかくエンジンの始動性が悪く、数十回キックしてやっと エンジンがかかるかかからないかという状態で、ツーリングにはとてもじゃないが使うことができなかった。又、スパートラップが やたらうるさくて爆音に近く、近所迷惑になるため結局ノーマルに戻す羽目になったのであった。ボアアップはしたものの、劇的な変化はなく、まっこんなもんかという感じだった。山間部を3000回転くらいで流して走るには最高のバイクだった。SRを末長く乗ろうとは思ったものの、、、

10台目 ホンダ ホーネット250 4気筒ロケットサウンドに憧れて

しかし浮気性は相変わらず治ることはなく、わずか数年で次のバイクに乗り替えてしまったのだった。HONDA ホーネット250。250ccで4気筒!単気筒とは真逆にあるバイクである。

長所は シュンシュン回るエンジン。車重も軽く、リアタイヤが180mmとぶっ太くスタイルもスズメバチのようで人気があった。短所は見当たらないが逆に優等生というとろが特徴がない欠点とも言えるのかもしれない。
 30代も半ばに差しかかった頃、大型バイクが翌年以降 教習所で取得できるかもと世間が騒ぎ出していた。男だったら一発試験で受かってこその大型自動二輪でしょ、と一念発起し教習所での取得が解禁する前に一発試験を受けることを決意した。当時は試験場の近くに有料の大型バイクの練習所があり、そこで腕を磨いて受験に臨んだ。1970年代後半頃、栃木県に住んでいたのだが大型自動二輪の一発試験での合格率といったら10%以下だったと思う。30回〜40回でやっと合格するレベルとの認識だったので、半ば大型自動二輪は諦めていたのだ。しかし今回は茨城県での受験で、大型自動二輪を受験する人は30人〜40人程であったと思う。毎回7〜8人は受かっていたので1970年代頃よりは軟化してるのだと思っていた。事前審査でGX750の引き起こし試験があるのだが、噂ではタンク内に砂が詰め込まれてるらしいといわれていた。これがクソ重くて何とか引き起こすことができホッとした。komaの次の順番のヤンキー君が引き起こすことができず苦しんでいた。素手で引き起こしていたので手が滑るのだと思いグローブを貸してあげるも結局引き起こすことが出来ずに事前審査で不合格となった姿には同情した。komaの1回目の試験は緊張してコースミスを起こしてしまい不合格。2回目はスムーズに乗ることができ特にミスもなく走り終えた。まさかとは思ったが2回目での合格!!合格したら欲しくなるのが人情である・・・     

11台目 ヤマハXJR1200 おもっ!

10代後半の頃に大型バイクに乗ってる バイク屋の兄さんに言われたことがある。1970年代後半頃の話であったと思う。『軽自動車よりナナハンの方が楽だぜ』 この言葉はkoma的にはかなりインパクトがあり、いつかナナハンに乗ってみたいと心に刻まれた言葉であった。
大型自動二輪免許を取得したからにはビッグバイクでしょ!いつ乗るの?今でしょ!なんて古いギャグ言ってる場合ではない。
ホーネット250からヤマハXJR1200 に乗り替えた。初めての大型バイクである。『おもっ』!これが最初の印象である。街を流すと2000回転から2500回転で車の流れをリードできる。なんじゃこりゃ 車やん 重いバイクだが走り出せば問題なく乗り回せる。確かに楽であり、余裕がある、あの時の兄ちゃんが言っていた言葉が裏付けられたようであった。
フロントブレーキにはブレンボ、リアサスにはオーリンズが装備されていた。今見てもカワサキのZと遜色のないカッコ良さだと思える。しかし重い、重すぎる。。自在に操るなど全く出来ず、バイクに乗せられていると言われても言い訳もできない。komaには技量がないのだ。テクを磨くかぁ

12台目 ホンダCBR929北米フルパワー仕様 ヤバいバイクに乗り替えた

komaも人並みに結婚をし子供も授かり、傍目にはいっぱしの大人と言われる年齢になった。しかし月日の経つのは早い。あっという間におっさんに近づいているではないか。人生の3大支出はマイホーム・教育費・老後費用である。マイホームを建てたら、その先バイクに金をかけることが困難になることは明白である。焦ったkomaはまたも乗り替えてしまったのだった。次なるバイクはホンダCBR929RR北米フルパワー仕様を購入(この頃は逆輸入車全盛期だった)

テクニックのないkomaはバイクを操りたいとモトジムカーナを始めてみたのだ。見様見真似でモトジムカーナ仕様への改造を始めた(これが後で大きな事故に繋がったのだ、、)
とりあえずモトジムカーナの第一歩は殻むきを行う。殻むきとはカウル全体を卵の殻を剥くが如くひっぺがすのだ。そして次にアップハンドル化。当時CBR929RRでモトジムカーナをしてる人はいなかったので情報がなく苦労したものである。CB400SFのトップブリッジを移植しアップハン化することができた。リアサスをオーリンズに変えタイヤはハイグリップタイヤ。シングルシートにモタードライト等々。CBR929はFI創世記の頃でもあり、ドンツキが酷くアクセルをガバッと開けてもワンテンポずれいきなりドン!とパワーる特性でうまく走ることが出来なかった。ドンツキを改善しようとリアのスプロケを大きくし加速型にしたのだが乗り味は一般道で乗るには過激なバイクに変わっていったのである。

当時適合するスライダーがなくまな板を加工してくっつけている(笑笑)

モトジムカーナの練習会といっても年に5〜6回、桶川のホンダのエアポートが有る辺りに教習所のコースっぽい所があったのと、筑波サーキットのジムカーナ場での練習が中心であった。その当時モトジムカーナはNSR250が大多数であった。軽い車重と2ストのパワーを考えると当たりまえか。現在でもA級の多くの人がNSRで走っている(30年も前のBIKEなのに未だ第一線で活躍しているすごいバイク)

ハイサイドを喰らい大怪我

モトジムカーナにも少し慣れた頃、左にターンの立ち上がりでアクセルを全開にした途端リアがスリップ、、、したかと思った次の瞬間、急激にグリップを回復しハイサイドを喰らってしまった!体が宙に投げ出され空から降ってきたCBRのクランクケースあたりが左足のくるぶしを粉砕したのだ。さらに頭をアスファルトに強く叩きつけられ鼻から脳水がぶわぁ〜と出たのだ『へたしたら死ぬ』とマジで思った。すぐに病院に運ばれた。先生が『手術しないとダメだね』と言われたのだが、当時仕事が忙しく、しかも昇進したばっかりで休むわけにはいかず無理やり手術は断り地元の病院に行くことにしたのだった。骨折は左足だったのでハイエースの運転はなんとか出来た。痛みを我慢し埼玉から茨城まで運転し家に帰ったっときにはカミさんにさんざん怒られたのだった。。。当日の夜はあまりの痛みで気を失いそうになった。一睡も出来ず翌日病院にいったのだ、やはり手術だというのだ。なんとかならないのか、先生にお願いしたところ『じゃぁ』と言い足を思いっきり引っ張り骨が原形通り、隙間が○ミリいかであれば可能性はあるとのことだ。お願いします! komaが手術台に横たわり先生がモニターを見ながらkomaの足を思いっきり引っ張り まさにガチャガチャするのだ、麻酔もかけていないので、その痛さたるや、、先生の腕のおかげで何とか手術を回避することができ 痛いながらも安堵した思い出である。

木曜日に怪我をし、金曜日に病院へ行き、土日休んで月曜日から松葉杖で出勤しのだった。
中年編 その2 につづく

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

目次