最初の1台はスズキ マメタン50カスタム
16歳で原付免許を取得し憧れのSUZUKIマメタン50を購入。オレンジ色のタンクに炎のステッカーがお気に入りだった。原付の中では唯一のアメリカン。1970年代当時、月刊オートバイ誌の見開きのページを開くと荒野のなかにスタッグバック(サンドバックみたいな布でできたバッグ)をシーシーバーにくくりつけ、緑色のマメタンでさすらいの旅をしてる男の写真にやられてしまったのだ。高校合格のお祝いに親に買ってもらった。5.5馬力 車重69キロ、2サイクルピストンリードバルブ、価格は11万9000円だったと思う。それまでの自転車での行動範囲から一気にどこまでも行ける魔法の絨毯でも手に入れたように走り回ったものだ。友人の須藤くん(XE50)と箱根に1泊のツーリングに行ったり、日光いろは坂に紅葉を見に行ったり、思い出すだけで懐かしさを感じる。カストロールOILを入れていいニオイだ、なんてやってた。当時の原付はバイクブームだったこともあり、選ぶことが大変であった。CB50JX、XE50、TL50、ミニトレ、ミニクロ、MR50、GX50、マメタン50、RD50TY50等。特にミニトレは人気が高かった印象がある。
2台目 ホンダXL250S
高校2年の春休みに中型自動二輪免許を1発試験で挑戦。なかなか受からず春休みも最終日となった日、7回目の挑戦でなんとか合格!その頃は早川光が主人公の漫画、ナナハンライダーを毎週読んでいた、主人公の早川光みたいにバイトしながら好きなバイクに乗ることに憧れていたものだ。komaが当時憧れていたバイクはHONDA XL250Sであった。ディアルパーパスという新しいカテゴリーを産んだマシンである。フロントタイヤが23インチもあり、オフロードもオンロードも乗りやすいといっていたような?しかしXLは少しコーナーを攻めるだけでフロントが滑り何回か転倒した記憶がある。
XLで北海道ツーリングに行く事が高校生活での夢であった。XLを購入するため、高校生活はアルバイトに没頭していた。高校3年の春にXL250Sを新車購入!マメタンも気に入っていたが、やはり250ccとは何もかもが違う。トコトコ軽く走っても車の流れをリードできる。嬉しすぎて、毎日のように乗り回した。高校3年生の夏休みには念願の北海道にソロツーリングに行った。北海道では当時、国道でもダートが多く、右コーナーで膨らんできた車と正面衝突をしてしまった。当時は携帯電話もなく山間部での出来事で相手に言いくるめられてしったのだ。怪我の方はスピードも出ていなく大したことはなかったが、XLはフロントフォークが大きく捩れていたがハンドルをフルロックした状態でタイヤをけっとばして何とか直し、なんとかその後も北海道ツーリングを続けたのである。今ではいい思い出になっていのかどうか。
高校生活を謳歌したかけがえの無い相棒であった。
3台目 ヤマハRZ250 4台目 ホンダTLR200
19歳の時XL250Sで通勤時にタクシーと事故を起こしてしまい、2週間ほどの入院(詳しくは後日ブログでアップ予定)。バイクの修理代を現金でもらい、懲りずに次のバイクを物色。色々と迷った挙句YAMAHA RZ250を購入。
水冷2ストで35PS 車重が139キロ 価格が35万4000円。しかし当時のkomaは峠をかっ飛ぶ的な走りは苦手であった。XL250Sで事故の恐怖を知ってしまい、安全運転をするようになり、その性能を十分に発揮するに至らなかった。その頃の写真を見ると、走ってる姿はGパンに漫画ワイルド7に憧れていたのかロングブーツ(笑)なんか履いちゃって、上はトレーナーにジェットヘル姿だった。まっ、今もたいして変わらないのだが。。
3年程乗ってHONDA TLR200に乗り換えた。明確な理由は特には無いのだが当時YAMAHAのTY125、TY250が人気があったこともあり、トライアル車に興味があったのだと思う。しかしトライアル車なのでシートが超薄く、膝がおもいっきり曲がった状態のライディングは厳しかった。一度山形まで泊まりでツーリングに行った時には、東北道(高速)をシートの上に家にあった座布団を敷いて走ったのだ。嘘のような本当の話である。最高速も100キロがやっとで、大型トラックの風圧で右往左往し、死にそうに辛かった思い出である。しかし、栃木県の奥鬼怒林道なども走り、オフロードを楽しさを存分に教えてくれたバイクである。現在のジョグと同じような価格だったのかぁ。今でも手元において来たかったバイクである。
殘念ながら写真は無かった・・
次回は青年編を予定しています。
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