俺のマシンを見ておくれ 中年編 その3

16台目 ハーレーダビットソン FXDX  ついにオレもハーレー乗りに

BMW R1100S ボクサーカップレプリカも、そろそろいいんじゃね となり次なるバイクを物色。先に書いた伝統あるバイクは2気筒説? Lツインのドカ、水平対向のBMW、残るはVツインのハーレーか?またも赤男爵でBMWと素どっ替えに近い価格に値下がりした売れ残り品を発見。ハーレーFXDXだ! ブラックのツインカム88エンジン1450ccを積んだスポーツテイストの強いマシン。とはいっても車重は過去一の300キロ!スズキの軽自動車アルトラパンが650キロしかないのだ。軽自動車の半分近い重さとは、、、ちなみにゴールドウイングは390キロです

しかし鉄馬に跨り走り出すと、
やっぱハーレーはすげえ!癖がつよい。低速からのトルクによる押し出される感覚は今までに味わったことがない。鼓動感も半端ない。ただ重い、車庫から引っ張り出すだけでも一苦労だ。跨って赤ちゃんの様に10センチ位づつバックするのだ。1センチの段差があったら、まず動かなくなる。人に見られたら笑われるだろうな。

ハーレーに乗り出すとお決まりのカスタムに手を出してしまった。全塗装(渋く血色にレタリングでデザイン)サンダンスのエアクリとマフラー、リアサス交換等々。

タンクは なかなか渋いっすよね?

ハーレーの長所はズバリ情緒だと思う。アメリカの古き良き時代の鉄馬、これに尽きると思う。真っ直ぐな道を荷物をしこたま積んでドコドコ・・とどこまでも突き進んで行く、てな感じでしょうか?
しかし この様な道が日本には少ないのです。北海道、特に道東辺りを走るには最高の相棒になってくれると思う。関東の車の多い国道を走るにはマシンが可哀想に感じてしまう。
ハーレーで外車は3台目だが頑丈なバイクである。故障は最後まで無縁であった。ハーレー社は米国企業である。Apple社やMicrosoft社、Amazonと同じ米国の大企業である。ハーレーが壊れやすい=iphoneやMacBookが壊れやすいということ同じ様なことだ。実際はほぼ壊れないですよね。下手したら国産より精度が高いかもしれないくらいではないか。そう感じている。

17台目 ヤマハFZ6-N フロントサスまでオーリンズに! 

やっぱ国産のバイクっていいよなとヤマハFZ6ーNに乗り換えた。599cc 4気筒 97.9PS 186キロ ネイキッドバイクであり、ライトが楕円形のような形をしていて、イマイチ人気がなかたような。
しばらく乗っていたが、会社の同僚が大型免許取得後komaのFZ6を大変気に入り、譲ってくれないかとの話になり、2年で売却した。koma的には、買って後悔とまでは言わないが、あまり印象に残っていない一台である。

ボケボケの写真しかなかった。。。残念  フロントにはオーリンズのサスをいれていたのだ。

18台目 スズキDRZ400SM ジムカーナマシンを入れ替える

NSR250は乗りやすく気に入っていたが、気になるバイクが出現した。スズキのDRZ400SMである。いわゆるモタードである。簡単にいうとオフ車にロードタイヤを履かせたバイクである。赤男爵で試乗バイクに乗ってみると、これが楽しい!めちゃくちゃ軽くて、単気筒エンジンがトットットッ・・・と軽やかでリズミカルな鼓動を打ちながら走る感覚は今までに経験したことが無かったバイクであった。強いて言えば高校生の頃、初めて乗ったXL250Sで感じた感動に近いかもしれない。

ジムカーナ仕様へのカスタムはサスをショート化、スプロケはリアを1丁小さくしたような? マフラーはカッコでヨシムラをチョイス。サスをショート化したことでスタンドもショート化。見た目だけのデカール等々。
低速トルクがあり、立ち上がりの加速が素晴らしく、軽くフロントアップするバイクだった。最初は2ストのNSRからの乗り換えでエンブレが邪魔でギクシャクした走りだったが、徐々に慣れていきNSRよりも早く走れた様な気がした(タイム比較したわけではないが) DRZには5年位乗り十分楽しませてもらった、感謝。
次は40代最後のマシン! 

19台目 ハスクバーナSMR250 兎に角かっちょいい〜

スズキ DRZ400SMから乗り換えたバイクはハスクバーナSMR250。komaが購入した当時ハスクバーナはスウェーデンの企業だった。現在は倒産したわけではないらしいが、2013年にBMWがオートバイ事業を手放し現在に至っているメーカー。チェーンソーとかアウトドアの薪を割る斧はハスクバーナブランドで普通に販売されている。バイク事業だけ手放しのだろうと思う。
SMR250の装備は充実していた。フロントサスがマルゾッキ製で50mmもあるものだった。フロントブレーキはブレンボ製。車重も117キロしかなく、とがったバイクであった。海外メーカは半端ない作りでシート高なんて920mm!っすよ。おもいっきりアンコ抜きしたが、それでもつま先だちだった。
半端じゃないといえば故障も半端じゃ無かった。インジェクションだったのだがガソリンポンプが新車からわずかの期間でぶっ壊れた。エンジンの調子も頻繁に悪くなり何回も修理に出したが、DRZでは考えられないことであった。ハズレの個体だったのかもしれないが。。

ハスクバーナSMRで不可解なことがひとつあった。それは何馬力あるのか分からないことである。スペック表をみても、ハスクの代理店に聞いてもはっきりしたことが分からないのである。30馬力後半とは言われているが、実際の最高出力ってどうなのか最後まで分からないままとなってしまった。
乗り味は、一言でいうなら『スパルタン』が最も適切でなないか。なんせこの軽い車体に30馬力後半のパワーである。過去の乗っていた2ストのSDRが105キロの車体に34PSだったことを考えると、4ストでこのスペックは相当ヤバいでしょ。
短所と言えば、故障は別として荷物がまったく積めなかったことか。まっツーリングに行くバクでも無かったけど。
本当ならDRZの後釜ということでモトジムカーナをやりたいところであったが、この頃ジムカーナ熱が冷めてしまい、ほとんど練習会にも顔を出さなくなっていたのである。その頃は登山に狂っていて毎週末山に行っていたのだ。下手したらこれからの10年間、バイクに乗った距離は1000キロにも満たないかもしれない。オレのバイク人生、終わったのかも、、と本気で思っていた。バイクに対して倦怠期であったのだと思う。長く乗ってりゃ、こんな時期もあるのだと思う。

20台目 ホンダ CB750(RC42)

40代最後に購入したバイクがCB750(RC42)。たしか最後のCB750だった様な気がする。 
空冷の4気筒は今後無くなっていくんだろうと思い、乗っておきたいと考えたのだ。2008年か2009年頃だったと思う。235キロと重くはあるが、いざ動き出すと素直なハンドリングで非常に乗りやすいバイクであった。あまり長距離は乗らなくなっていたが、暇をみつけてはちょこちょこ乗っていた。

東日本大震災の記憶

CB750で蘇る記憶は、2011年3月11日 東日本大震災の日、komaは単身赴任で栃木の会社に出社していたのだが、東北〜茨城にかけ甚大な被害であることをニュースで知り、茨城の自宅に戻ったのだった。しかし橋が崩落し通れる道路が限られていることで、とんでもない渋滞となり、たしか10時間位かけやっと自宅に戻ることができたのだった。家の中は食器棚から食器が吹っ飛び、ほぼ全滅状態。家全体が大きく歪み、壁のクロスもいたるところが引き裂いた様に破れている。う、うそだろ!と思わず呟いたのを今でもはっきりと覚えている。あと震災の丁度1週間前に55型の液晶テレビを購入していたのだが、地震が発生した際、妻がテレビだけは倒れない様に押さえていた話を後から聞き、すこし可笑しくなったのだった。
続いてガレージを見にいくとCB750がぶっ倒れている。マジで涙が出そうになった。立ちゴケもしたことないのに、レバーがグニァりと曲がっていた。マフラーにも傷が入ってしまった。ただタンクが凹んで無かったのが唯一の救いであった。後で知ったことだがCB750はセンタースタンドをかけていたことが悪かったらしい。地震にはサイドスタンドの方が倒れにくいとバイク屋からきいて知った。

芸能人の山口良一氏(金ドンの良い子悪い子普通の子)がCB750をこよなく愛し、10万キロ以上乗っているそうだ。仕事へもCB750で行っているそう。一台のバイクを大切に長く乗っている山口氏のような方をリスペクトする。本当にバイクが好きなんだな、素直にそう思える。(最近の芸能人にある一過性のバイク熱で旧車を買い漁り、新車並みにレストアする輩をみると・・・)
CB750は、その当時は全く感じなかったことだが、今見ると旧車感がプンプンするバイクだったなとつくずく思う。komaももう50代になっていた。バイクに乗れる時間は限られてきた。そう考えると少し寂しく感じる様になってきた時期でもある。

オレのセカンドバイク達に つづく


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